【連載・世界の宗教を学ぶ (4) 儒教】
儒教は、宗教であるか学問であるかでいろいろ議論がありますが、天を敬ったり祖先崇拝を重要視する面がありますので、宗教の部類に入り得ます。ここではそのように考え、宗教として考察してみます。
(1)儒教とは
儒教は、中国春秋時代に孔子(前551~479)の教えを中心に成立した宗教です。孔子の教えの中心点は、敬天思想にもとづいた中国古代の理想王朝に求められ、これによって正しい道徳的秩序を確立しようとするところにあります。
孔子が弟子たちに説いた最も重要な教えは、「仁」というものでした。この仁とは、一言でいえば人を愛することですが、その内容は単なる自己中心的な愛ではなく、相手のことをよく考え、自分の欲望を抑えるところから発する思いやりにみちた愛であるといえます。つまりこの仁は自分の忠(まごころ)と他人への恕(じょ、思いやり)を、その実現の経路とするのです。孔子はこの仁を唱えることで人間のあり方を鮮明にし、人格を完成することを理想としたのです。有名な「己れの欲せざる所は人に施す勿(なか)れ」(『論語』)、「巧言令色鮮(すく)なし仁」(『同』)というような言葉は、このようなことを表現しているのです。
その後、孔子の教えは孟子(前372~289)に継承されていきます。そして孟子は、孔子の仁を展開し仁に義を加え、仁義による統治を説きました。さらに「人間の本性は善なり」(『孟子』)と唱え、すべて道徳的価値を主体的に判断し、実行すべき善なる本性を先天的に誰もが有しているという性善説、つまり人は生まれながらにして仁義礼智の四徳の可能性をもっていると唱えました。そして「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず」(『孟子』)、つまり何事をなすにも、人の和が大切であると説きました。
(2)儒教の教え
儒教の教えを一口でいえば、仁を重んじ、徳と礼すなわち五倫と五常を実践して正しく生きることといえましょう。そこでこの五倫と五常について見ておきます。
[五倫] (基本的な人間関係を規律する五つの徳目)
●父子の親…父と子の間の自然な信愛の情。
●君臣の義…主君と下臣の間の道徳・倫理。
●夫婦の別…夫と妻の役割分担。
●長幼の序…年下の者は年長者に従う。
●朋友の信…友はお互いを信頼する。
[五常] (人として常に守るべき五つの徳目)
●仁…自己抑制と他者への思いやり。
●義…人間の行なうべき筋道。
●礼…秩序を守るため規範を尊ぶ。
●智…是非・善悪を弁別する。
●信…欺かない。
(3)儒教の特徴
神観
開祖孔子は下剋上の時代に生まれ、模範的な政治を行なう君主を求めて諸国を歴訪し、諸侯に道徳的政治の実行を説いたのですが、受け入れられず、晩年は弟子の教育と著述に専念するようになりました。このように彼の態度を見ると、どうしようもない人間の苦悩を神によって救われるというような発想には立っていません。むしろ人間個人の内面というよりも、政治的、社会的な秩序を確立し、社会の安定の中に幸福を求めようとする立場に立っているといえます。儒教では「天に順(したが)う者は存し、天に逆らう者は滅ぶ」(『孟子』)とされ、天が神のように崇拝され、また孔子が神とされる場合もありますが、大自然たる天が偉大であり、その天に順じた者が優れた人間とされるのです。ヤハウェとかアッラーのような存在とはまったく違う存在、つまり人間存在をまったく超越した全知全能の神とは違います。人間を創造し、支配しつつ、あらゆる人々、特に罪人・悪人をこそ救おうとするような神とも違います。あくまでも人間の世界を秩序正しく保つための方法を教え、それを実行できるよう手助けをする存在が、彼らにとっては神なのです。
人間観
すでに述べたように、孟子は性善説を説きました。彼は、人が善について思うのは先天的に道徳的本性が人間一人ひとりの中に存在しているから、これを拡大していけば誰でもが善人や聖人になれるというのです。人が悪いことをするのは、ただこのことを忘れているからであって、根本的に悪いのではないと考えているのです。キリスト教の原罪とか仏教でいう罪悪深重の凡夫というような人間観とは大きく違い、かなり楽観的であるともいえます。だから深い内省や懺悔にもとづいた深刻な告白よりも、人間が生まれもった自然の善意を大切にし、人間生来の善を信頼する面が強いのが特徴といえます。一神教が強烈な宗教性をもつのに対し、儒教が倫理的・道徳的な要素を色濃くもつのはこのためです。
信仰観
人間誰しもが善への傾向をもっているということは、正しい信仰さえもちえないから信仰も神や仏に与えてもらうというような信仰の形態とはならない。そうではなく、元来性善であるがゆえに、そのわが身を自覚し、その意識を拡大していくことが大切であるということになります。このように教え、自覚させてくれている孔子や孟子への感謝と喜びと信頼の気持ちが、したがって儒教の信仰観の基盤になっているといえましょう。
現在では宗教としての儒教は中国では失われ、台湾や韓国で生き残っています。日本にはすでに五世紀のはじめに伝わっていましたが、日本人はどちらかというと宗教としてより学問とか倫理の面から受け入れたため、仏教や神道とあまり摩擦をおこしませんでした。江戸時代には、幕府公認の思想として隆盛しますが、お上に対する「忠義」の考えが中心となり、幕藩体制を正当化するものとして定着しました。