【連載・世界の三大宗教を学ぶ (3)イエスの生涯】
キリスト教の開祖イエスは、紀元前4年以前に、ユダヤのベツレヘムに生まれ、ガリラヤのナザレで育ったであろうとされていますが、ます誕生の仕方に注意したいと思います。
新約聖書によれば、父のヨセフと母のマリヤはいいなずけでしたが、結婚前にマリヤは身重になってしまいました。そこでヨセフは離縁しようと考えましたが、神の使いが現われ、次のようにいったといわれます。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」(マタイ福音書1.20~21)。処女マリヤが聖霊によってみごもったというのです。男女の結合による自然な生まれ方ではありません。
聖霊とは、旧約聖書によればルーアハといわれ、生命を与える神の「いき」という意味です。新約聖書になると神の力であるとされますが、いずれにせよ自然のメカニズムを超えたものです。たとえば仏教の釈迦は普通の男女の間に生まれ、すぐれた覚者となり、仏陀になりましたが、あくまで人間として生き、人間として死にました。しかしイエスは単なる人間ではなく、「神の子」として生まれ、神の子として生き、死んだのち復活したというのです。ということは、キリスト教はポピュラーになってはいますが、本来はとてもユニークな宗教であり、超自然的であるため強く「信じる」ことが要求される宗教であるといえます。キリスト教圏では、キリスト教は「信じる」宗教、仏教は「理解する」宗教だといわれる場合がありますが、ゆえなきことではありません。
イエスが30歳になる頃までのことについては、何も記録されていません。のちの彼の伝道の仕方が人情の機微に触れていることから、おそらく大工の父ヨセフとともに、大工などの庶民的な職業にたずさわっていたのではないかとされています。
彼が30歳の頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。「罪のゆるしを得させる悔い改めの洗礼」でした。イエスもその洗礼を受けます。「すると、見よ、天が開(ひら)け、神の御霊(みたま)がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った。『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」(同、3.16~17)。すぐに彼は荒野に行き、悪魔の誘惑と戦います。悪魔の誘惑とは、肉体をもつ人間の欲望にはさまざまな誘惑があることを象徴しています。たとえば長い断食ののち、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」という悪魔の声に、彼は次のように答えたといいます。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」(同4.4)。
これは肉体をもつ人間の弱さを超克しようとするイエスの叫びでもありました。石をパンにすることは、人間の欲望を満たそうとすることにすぎません。イエスにとっては、真の生命を得ることこそが真に生きることでした。自然性を突き破った超自然たる神の意志に従うことこそが、彼の命の根源であったのです。彼はこの時から自分を神の子として自覚し、神に仕え、弱い人間を導く決心をしたといいます。
ところで彼の父ヨセフはナザレの町の大工でしたが、ユダヤ教のパリサイ派の人々によって律法を守る能力のない者として軽蔑されていた「民衆」(アム・ハー・アレツ)に属していました。このことは、しいたげられた人々を救おうとする決心をさせることになりました。律法に触れることさえ認められていなかった遊女や取税人、さらには神の罰を受けているとされたハンセン病の人々などに、彼は積極的に伝道をしました。神に仕えることはこのような見捨てられた人々と苦悩を分かち合うことだと信じたのです。
イエスは誠意をこめて伝道をしたのですが、次第にユダヤ教の教えとの食い違いが明らかになってきました。彼は一生懸命ユダヤ教の教えを説いていたのですが、伝統的なユダヤ教徒からすれば、その教えは伝統的な律法を無意味なものにし、ユダヤ教を異邦人に売り渡し、律法を守れない罪人に妥協する、などと映ることになってしまったのです。
ガリラヤ地方を中心にイエスの教えは広まったのですが、彼の伝道はわずか2・3年で終わってしまいます。最後の宗教的なドラマが待っていたのです。そのドラマは十字架の死と復活という、これまた超自然的な出来事でした。
イエスの教えと行動は、ユダヤ教の指導者にも、当時ユダヤを統治していたローマ帝国の権力者にも危険なものとなっていたのです。イエス自身もそれを自覚し、やがて受難に至るだろうと考えるようになりました。そのような中、イエスは弟子たちとともに、ユダヤ人のエジプト脱出を記念する過越(すぎご)しの祭を前にしてにぎわうエルサレムに入りました。逮捕を覚悟したイエスは最後の命を燃焼させ、説きます。たとえば、「取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義(ぎ)の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた」(同21.31~32)と説きますが、これは真っ向から伝統的ユダヤ教を否定することになります。また「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」(同22.21)と説きましたが、これは真っ向からローマ帝国の皇帝に逆らうことになります。もはやユダヤ教徒にもローマ帝国にも敵対していると映ることは避けられなくなりました。彼らのイエス逮捕の思いは一致することになります。
逮捕の際、弟子の一人ユダは銀貨30枚をもらってイエスを裏切り、弟子たちはこわくなって逃げてしまいました。ユダは罪の重みにたえかねて首をつって死んでしまいます。人間の弱さと悲しさが如実に表されているといえましょう。
死刑の決まったイエスはの茨(いばら)の冠を頭にかぶせられ、刑場のゴルゴダの丘まで重い十字架を背負わされます。この無抵抗の姿に人々は無力な姿しか見ませんでした。唾(つば)をかけ、罵声(ばせい)をあびせたのです。そして昼の十二時頃、十字架につけられます。聖書にはそのときのことについて、「そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(同27.46)と叙述されています。
イエスは人間として正直に神への叫びを発しながら、しかし最後は神にすべてをゆだねて死んでいきます。ここにイエスの人間性と神の子としての深い信仰があるのです。その奥には、苦しむイエスに何もしないという形での神の深い愛が秘められています。最愛の独り子を最後まで形に見える方法で救わないことで、神の子さえ屈辱的に殺してしまうような人間の深い罪を人間に知らせようとした神の愛です。神みずからが最大の犠牲を払って人間にそれを知らせようとなさったというのです。しかし人間にはそれがわかりませんでした。
ところがその後、彼らが思ってもみなかったことがおこります。アリマタヤのヨセフという男がイエスの遺体を引き取り、大きな石の戸のある墓にほうむったのですが、3日目の朝、イエスを慕う女性たちが墓に行ってみると、遺体はなく、神の使いが次のようにいったといいます。「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである」(同28.5~6)。復活は自然法によっては信じられない。しかしこの女性たちは超自然的な神の意志を信じたのです。
そののち、これを信じられない人々のためにイエスは姿を現わしたといいます。ガリラヤに逃げ帰っていた弟子たちも信じなかったのですが、たとえば12弟子の一人トマスにイエスはいったといいます。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。……あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は、さいわいである」(ヨハネ福音書20.27~29)。
イエスの生涯を概観してみましたが、誕生や復活が超自然的に表現されているのは、このような自然法にもとづかない信仰を人々に知らせようとするキリスト教の特徴です。自然的でない信仰は、したがって強い人間の意志によって選択されるべきものとなるのです。このような信仰を引き起こす教えとその特徴については、次回に触れたいと思います。